月に二度か三度程度訪れるカフェチェーンがある。近くに用があれば必ず立ち寄るくらいお気に入りなのだけれど、その一番の理由は、店員さんたちの接遇が素晴らしいから。どの店員さんも明朗且つ親切なのは前提として、中でも特に素敵な店員さんがいらっしゃる。彼女の「いらっしゃいませ」が聞けるといつもほっとする。よく通る高い声をしているのに決してキンとはせず、耳心地の良い柔らかさをも持ち合わせている。手際が良く、飲み物や食べ物の提供も素早い。常に楽し気な笑顔を向けてくださるので「ごゆっくりどうぞ」がまるで本心のように聞こえる。こちらが退店する際、彼女は忙しなく働きながらも「いってらっしゃいませ」と優しく送り出してくださる。彼女はお客さん相手のみならず、スタッフにも同じように丁寧に応対するので、それがまた立派だなと感嘆してしまう。
また嬉しいのが、飲み物も食べ物も安くて美味しいところ。カフェチェーンで安価ということもあり、紅茶はティーバッグなのだけれど、それが美味しいのだ。正直、美味しくないティーバッグの方が多いと思う。美味しくなくても良いのだと思う。それが美味しいのだ。
今日もそのカフェに立ち寄った。用事の前に一時間ほど時間があったから、紅茶を飲みながら漢字の勉強をした。特別なことは何も起こらなかったけれど、店員さんの親切な接遇を背中で聞いていたら何だかしみじみ感動してしまい、この感謝を伝えるべくお店のホームページからメッセージを送ることにした。三インチのスマホでちまちま書き上げたメッセージはどう見ても怪文書だったけれど、これで彼女の時給が五千円くらい上がりますようにと願いを込めて送信した。送信した直後、ひどい焦燥感に襲われた。このメッセージの行き先が本社なのかカスタマーセンターなのかは分からないけれど、ひょっとしてこれは彼女の自演と思われてしまうのではないか。いや、そんなことはないはず。でも自演と思われなくとも、彼女に近しい人による怪文書と思われてしまうのではないか。もしくは単純に、不審者からの怪文書と思われてしまうのではないか。私は彼女の素敵なところを列記して純粋に感謝を伝えたつもりだったけれど、覚悟した方が良いのだろうか。私は不審者ではない。しかしそんなものは受け手の捉え方次第だ。受け手が不審者と思えば不審者ということになる。でも私は不審者じゃない。何せ私は彼女の顔をよく知らないくらいなのだ。注文の際もトレイを受け取る際も私はメニューなりトレイなりに視線を落としているから、彼女がどんな面立ちをしているのか、全く覚えていない。三十代くらいの印象を受けるけれど、私は人の年齢がいつも分からないので、ひょっとしたら二十代か四十代かもしれない。
眠すぎるのでこの文を読み返すことができない。何を書いているのか自分でも分からない。一つ言えるのは、今日カフェで気分よく過ごせて嬉しかったということ。
最後に、最近またよく聴いているつばきファクトリーの『間違いじゃない 泣いたりしない』を貼る。
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