年始

一月一日、初日の出をホテルから見た。見ようとして見たのではなく、単に偶然海の見えるホテルに泊まった、それが大晦日だった。目が覚めてもまだ暗かった。カーテンを開けてスマホで日の出の時刻を調べれば、小一時間ほど余裕があった。小腹が減ったのでチップスター(のり塩味)を摘んだ。円柱型のパッケージに記載された工場の場所や原材料を見ながらうつらうつらしていたら徐々に暖色めいてきた。
窓に近寄ると堤防に人影が数え切れないほど見えた。初日の出を待ちわびる人々がこんなにもいることに驚きつつベッドに戻った。オレンジの切れ端が顔を覗かせたとき、初日の出の瞬間をきちんと見るのは初めてかもしれないと思った。横たわったままの姿勢で、広い雲が太陽を覆うのを見た。その後は太陽と雲の攻防が静かに繰り広げられた。太陽が上がろうとすると雲が主張をし始める、それが何度かひたすら地味に繰り返された。よくTwitterで見かける、飼い主の作業を邪魔する気まぐれな猫の光景を連想した。
太陽の全貌が見えた。チップスターを食べ終えたのも相俟って満足感と幸福感でいっぱいになった。年を跨いだだけのただの太陽なのにとも、跨いだことに価値があるのだろうとも思った。
一月二日、家族で初詣に行った。これまた計画的行動ではなく、当日の朝に姉から連絡を受けたのでふらりと行っただけだった。何だか久しぶりに地元の神社に足を踏み入れた気がした。家を出る直前、貯金箱をひっくり返して穴の空いた硬貨を全てコートのポケットに入れて持ってきていた。それを取り出して、お財布の中からも穴の空いた硬貨を……と探したら五十円玉が一枚しかなかった。お賽銭箱には果たしてどのお金をどれくらい入れるのが正解なのだろうか、謎のまま、お願い事というよりは決意表明のような文言を胸の内で伝えた。こういったご時世だからだろう、以前まではぶら下がっていた本坪鈴が姿を消していた。
複数種類あるおみくじの中から綺麗な花柄の小袋を引いたら大吉が出た。書かれていることを真に受けて噛み締めた。いくつもあるお守りの中から迷いに迷って一つだけ、鳥の絵が描かれたものを選んだ。
数年振りに手帳を買った。予定はスマホのスケジュールアプリに書き込むので、to doや日記用に。緑谷出久くんのステッカーを貼ったら最高になった。今年は良い年にするし良い年になる。