夢の夜の真夏

うかうかしていたら真夏が終わっていた。この写真はまだ夏真っ盛りだったころの早朝の海。青みが少なく映った。
エアコンを使わなくなり、眠るときの格好や寝具も重量を増した。ここ数年、季節の移ろいが白黒つけるみたいに激しくなったと感じる。非グラデーション。室内にほとんど籠もりきりだから、尚更そう思うのかもしれない。
と思いきや、今日は暑かったので、前言撤回。

今日は芥川賞を受賞された李琴峰先生の『彼岸花が咲く島』を読んだ。読後の満ちきった幸福感が素晴らしかったので余韻に浸り終えた頃にまた読み返したいと思った。物語自体は異世界を舞台にしているけれど、現世界のあらゆる問題を孕んでおり、全く持って他人事ではなかった。視覚情報のみならず、音や匂いや触感が生き生きと伝わってくる文章だった。読んでいる間中、ずっとドキドキしていた。作品の主題ではないのだろうけれど、ガールミーツガール及びガールミーツボーイにとてつもなくときめいてしまったのも大きい。その時点で既に希望を受け取っていた。性別や国境、その他諸々の不条理な隔たりが今後はなだらかになっていく一方だと私は何の根拠もなく信じているので、背中をそっと押されたような思いがした。その場しのぎの救済ではなく永続的楽園が見えた。三人称神視点ゆえに閉鎖的世界に奥行きや客観性が生まれていたのも良かった。
でも選考委員の方の選評を拝読すると、厳しい意見も見受けられ、小説を書くことの難しさを改めて思い知ることになった。深く狭く、そして広く、突き詰めなければならないのだろう。小説を書き始めるには想像力が必要で、人に読んでもらうには洞察力や推進力が重要なのかもしれない。あとは知識に語彙に技巧……と、必要なものは沢山あるんだろうなと思うとちょっと途方に暮れかけた。
ただ完璧な小説は果たしてこの世にあるのだろうか、とも考えてしまう。少なくとも全人類が満点をつける小説なんて一つもないはず。別にそれは小説に限らず、音楽絵画漫画映画、何にでも同じことが言える。
ところで選評で「長すぎる」と苦言を呈されることはあっても「短すぎる」と評されることはあまりないんじゃないだろうか。そう考えると、長いよりは短い方が良いのかもしれない。

とある新人賞に応募した小説が三次予選を通過したことを知ってから、書くことについてまたぐるぐると考えがち。これまで一次予選に通過したことさえなかったから、一頻り驚いた後に、つい喜んでしまった。受賞してないのだからまだ喜ぶべきではないのだけど。でもこの世のどなたかが一次二次三次の過程で読んでくださったことを想像すると、やっぱり嬉しくなった。もう少し頑張ってみよう。