ふるさと納税で、2kgの無洗米を6か月間毎月1袋ずつ届くように申し込んだつもりが、やけに重たい段ボール箱が届いた。開けてみると2kg×6袋=12kgのお米が詰まっていた。今一度返礼品ページを見たら、普通に定期便でも何でもなかった。普通に私の勘違いだった。
お米というのは精米後1~2か月で食べなければならないらしい。それはちょっと無理そうだなと思い、実家に2袋お裾分けした。これで手元に残ったのは2kg×4袋=8kg。これなら約2か月で食べ切ることができそう。良かった。
ここ数日は出産のことばかり考えている。「結婚しないの?」「子どもは欲しくないの?」といった問いに対していつでもNoと答えてきたけれど、去年辺りから急に、赤ちゃんを産みたいと思う瞬間が増えた。これはまだ誰にも言っていない。口に出してしまったらそういう目で見られそうだから。そういう目というのは、「この人は結婚や出産を視野に入れているんだな」という目。私がこれを口にすることで、素敵っぽい人を紹介されでもしたらとても困る。何故なら「産みたい」と「育てたい」は全く異なる欲求だから。「産みたい」の出処が本能だとして、「育てたい」は理性から成ると思う。出産には育児がペアでついてくるのに、私は「育てたい」とは全然思えない。自分の遺伝子が残ってしまうのも避けたい。育児の自信もなければ経済的余裕もない。全く現実的ではない。なのにふとした瞬間、「産みたい」が頭にふらっと過ぎる。これが今最大の恐怖と言っていいかもしれない。
最近は、産む気がないと言い切ってしまうのも憚られる。社会に貢献できないことへの罪悪感が膨れ上がるし、自分がとんでもない落伍者であることを証明するみたいに感じられて。その一方で、利己的な出産には踏み切りたくないとも思う。そもそも出産は親のエゴであって子どもの願望ではないわけだけど、それでも生まれてくる子どもが生きていく上で幸福でいられるかを第一に考えなくちゃいけないのは確か。そんなことが頭の中をぐるぐる回っている。
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