なりたいふりかけランキング

 炊飯器のご飯を一食分ずつラップに包んでいたら最後に微妙に余ったので大人のふりかけ(鮭)をかけて食べた。ただでさえ洗いにくい炊飯器にふりかけがこびりついたことで余計に洗いにくくなりそうだけれど、明日の自分に委ねる。たまにこうして炊飯器から直接ご飯を食べてしまう。その度に大切な何かを失ったような気持ちになる。
 なりたいふりかけ、について考えたことがある。一位はのりたまか鮭なんだけど、鮭の中でもソフトふりかけとハードふりかけならば後者になりたい。好きなのはソフト。

 そういえば少し前に太宰治賞から「受賞作が決まったよ」のメールが届いた。太宰治賞の素晴らしいところは応募者全員に「一次選考通過作が決まったよ」「二次選考通過作が決まったよ」のメールが届くところ・ホームページ上に通過作が掲載されるところ・そして最終候補作は(受賞作も含めて)全てムック本に掲載されるところ。今回は一次選考通過・二次選考敗退という結果に終わったが、お読みくださった下読みの方に感謝しつつ、色々と反省もした。受賞作が面白そうなので早く読みたい。
 最近は新人賞の受賞作を読む前に選評をまず読むようになった。読むと混乱は極まるものの、きっと必要なことなんだと思う。三月にお別れした原稿の結果が分かるのがおそらく夏なので、ずっと落ち着かずにいる。こんなにそわそわしてしまうのは、お気に入りだと胸を張って言える作品になったから。これまでは妥協と諦念と共に応募するのが常だったが、今回は珍しく別れを寂しく思ったし、諦念がなかった。だからたとえ良い結果が残らなかったとしても自分自身が登場人物や世界のことを一生懸命見つめられたこと・楽しく書けたことだけは心の端に残ってくれるだろうから、きちんと切り替えて次を頑張りたい。正解も不正解も分からなくて年齢学歴などマイナスな要素ばかりで受賞者たちと比べると足りないものばかりだけれど、だからといって書いてはいけないわけでは決してなくて、創作というのは誰にでもひらかれたものだから、やっぱり楽しみたい。いつまでも選ばれなくて駄目になってもまた書いてしまうと思う。つくるというよりも、目に浮かんだものを出力せずにはいられない。特に理由なく純文学系の新人賞に応募しているけれどエンタメも好きだからエンタメ小説を読みまくりたいし書いてもみたい。
 あと今日思ったのは、オーディブルは難しいな、ということ。理解が進みにくい。どうも朗読を耳でキャッチしてから一旦脳内で漢字変換したのち映像出力する癖がついているようで、その一連の作業をしているうちに話が先に先に進んでいき、ついていけなくなるんだと思う。集中力も持たない。自分のペースで休憩したり反復したりができる能動的読書と比べて、朗読は受動的なんだよなと。一時停止して巻き戻して……という行為も際限がないので追いつかない。これは認知特性の話になってきそう。歌詞を見ないと何を歌っているのか分からない、というのも聴覚非優位だからなのかなあ。眠すぎて何を書いているのやらそろそろ分からない。